歓送迎会

夜市地区歓送迎の集いに60人

 たとえば、桜の花が咲いたと思ったら、すぐに散ったりする。春といっても3月の終わりから4月の初めにかけては、うれしさと物悲しさが交互に訪れる。そんな4月10日(金)に夜市地区歓送迎の集いが開催された。
 今年は小学校の校長先生をはじめ4人の先生、幼稚園の廃園に伴い、園長先生はじめ2人の先生。そして市役所支所長とで、7人の人が退職または転任された。新たに小学校に6人の先生と市役所支所長を迎えた。
 主催者のねぎらいと歓迎の言葉に続き、転任・着任の方々からの挨拶の後、宴は佳境に入り、大いに盛り上がりを見せた。あちこちで、名残を惜しむ声や、はじめましてと自己紹介などが始まった。地区の情報交換なども欠かせない、夜市地区ならではの集いである。
 新任のK夜市小学校校長先生の談、
「長いこと教員をやっていますが、地区をあげての歓送迎会を催してもらったのは初めてで、感激しています。この地区の教育力も、きっと高いのでしょうね。」
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# by kanmoto | 2015-04-12 18:17 | 日記  

私の名前は美和子

 私の前の主人は、京都御所の禁門の変で自害してしまいました。あの当時の人は、本当に自分の命をなんと思っていたのでしょうか。
 その後、楫取素彦(小田村伊之助)に嫁いでいた実の姉の寿(ひさ)が他界いたしましたので、私が楫取の嫁になり、身の周りの世話をしたのでございます。
 楫取は兄の寅次郎と同じく、本当によく勉強をしておりました。兄が安政の大獄で死罪になった後、兄の私塾、松下村塾をまかされたこともあります。
 私は吉田寅次郎松蔭の妹の文でございます。今振り返ると、明治の御一新はまるで夢のようであります。私は大正10年にこの世に別れを告げました。


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# by kanmoto | 2015-04-08 18:49 | 連載  

私の名前は美和子

 その間、私は奥様に有栖川の宮家からの拝領物などを見せていただいて、時間を過ごしました。山田家は萩本藩の重臣、堅田様の家臣でありましたので、このようなもったいない物もあったのでしょう。
 なぜ私の主人が、こんなにも山田様と懇意にしていたのかと申しますと、何代目かの当主様になられる人が養子に出られ、萩明倫館の先生をなさっておられたとき、夫、素彦と同僚だったらしいのです。
 その後、山田様も三田尻にお越しの際は手土産を持ってきたりしてくださいました。私も何度かお礼のお手紙を差しあげたりしました。年賀状のやり取りもして、楫取家と山田家のお付き合いは続いたのでございます。
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# by kanmoto | 2015-04-02 19:02 | 連載  

西徳山」いけいけだより第29号

創刊から8年目を迎えました。
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# by kanmoto | 2015-04-02 18:56 | お知らせ  

私の名前は美和子

また、話が横道へそれてしまいました。山田家8代目の当主様は、それは穏やかな人で、私の主人となにやら話し込んでおりました。後で聞いたのですが、欧米の地方自治や議会制度のことなどを話していたようでございます。また、そのことを書にしたためたとのことです。その書は今でも山田家の鴨居に額に入れて掲げられているそうですね。
何しろ主人は群馬県令(知事)をいたしておりましたので地方政治のことは詳しかったのでしょう。
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# by kanmoto | 2015-03-31 18:52 | 連載